Complete text -- "10/24(土) 現地調査(三国)"
25 October
10/24(土) 現地調査(三国)
本日の活動概要1:三国について
三国は中世は大寺の荘園の一部として、また南北朝時代には朝倉氏、柴田氏など歴代国主の支配と保護を受け、
港町としての機能を整えていった。
江戸期に入り北前船が運行すると笏谷石の石材・製品は三国湊に集められ日本海沿いの北陸・東北・松前方面
に流通しため、豪商がうまれ、また、笏谷石が多く残るまちでもある。
現在、「歴史文化の古い湊町」として、 その景観と風情をのこし、着地型観光のまちづくり、イベント、商品
開発にも力を入れている。
2:調査箇所について
01瀧谷寺(笏谷石の宝庫、すべてがあると言った感じ)
→02竹よし
→03 旧岸名家(尺六の笏谷石貼りの土間、縁石、犬走り)
→04三国湊町屋(復元、再利用の笏谷石、あじさい貼り)
→05漬物石を再利用した句碑
→06舟板を再利用した笏谷石との組み合わせが粋な民家の塀
→07性海寺(多寶塔、狛犬、常夜灯、鬼瓦、棟石)
→08三国南小学校(元龍翔小学校の門柱)
→09栗津山真龍寺(石仏)
→10妙海寺(石垣、灯籠)
→11三国湊城趾(千手観音石像、石柱、多重塔)
→12唯称寺(石垣)
→13浄願寺(墓、灯籠、古い笏谷石と新しい笏谷石の石垣)
→14三国神社(灯籠、方位石、狛犬)
→15宮太旅館 →16三国大野屋(基礎石)
■その他特記すべきこと(感想など)
・NPO三国湊魅力づくりプロジェクトのまちづくりや着地型観光の手法は、とても魅力的で参考になった。
・笏谷石の流通は、川によって発達したことが、よくわかる。足羽川、日野川、九頭竜川
また、朝倉の一条滝川など、地理関係を把握することで、見えてくるものがある。
記録/A.I
「笏谷石を訪ねて」
〜地産地消1500年の歴史と文化を再発見〜の
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